ついこの間まで、 PC というのは本体だけで 20万円の買い物だった*1。それがいつの間にか周辺機器を含めて 20万円となり、気付いたときには 10万円 PC というのが出回るようになっていた。今では 10万円でも高いと言われている。現在は液晶ディスプレイ付属の PC を 7万円(2004年 3月現在)で買える時代だ。液晶を CRT に変えたり、ディスプレイなしにしたりすれば更に価格は下がる。中古 PC 市場など、すでに投げ売り状態だ。
日々重くなっていくソフトウェアに悩まされている人々にとって、これらのハードウェアは魅力的に映るようだ。ソフトウェアが重くなるにしたがって、ハードウェアは進化を続け、そしてユーザーはハードウェアを買い換える。このサイクルが今では当たり前のように受け入れられ、日夜新しいハードウェアが開発され、そして古いハードウェアが廃棄されていっている。コンピュータというものは、大量生産大量消費の時代に移ったといえるのかもしれない。
だが、それでいいのだろうか。
我々は無味乾燥なコンピュータしか、得ることができなくなってしまったのだろうか。新機種を手に入れたら、数々の作業をこなしてくれた旧機種はスクラップにし、そしてそれを新機種がでるごとに繰り返す。そんなことでいいのだろうか。
コンピュータはただの道具だ。
確かにそうかもしれない。
しかし、芸術家や職人が自分たちの道具に接するのと同じように、我々が"自分たちの道具"であるコンピュータに接することは不可能なことではない。道具であるということと使い捨てにしていいということは、等価ではない。職人たちは"新しい道具が出たから"などという理由で、慣れ親しんだ自分の道具を捨てたりするだろうか ? そんなことはありえない。職人たちは自らの道具を使い捨てにしたりはしない。
今あなたの隣にあるコンピュータのことを考えて欲しい。
いつ買ったものだ ? 何年使った ? 何をやった ?
このコンピュータで充分ではないのか ?
リアルタイムの映像編集、3D レンダリング、数値演算、そういった特殊用途ではっきりと性能が頭打ちになっているのなら、私は何も言わない。残念なことだが、それは買い換えるしかない。しかし、自宅にあるコンピュータをその様な特殊な用途に使用している人というのはあきらかに少数派だ。我々の多くはそんな用途にコンピュータを使ってはいない。
速いことはいいことだ。確かにそれは分かる。だが、その"速さ"というのは、新しいコンピュータを買うという方法を取ってでも、得なくてはならないものだろうか。今まで使ってきたコンピュータをスクラップにしてでも、得なくてはならないものなのだろうか。
もう一度考えて欲しい。
そのコンピュータで充分ではないのか ?
それでも買う、買う必要がある。それなら迷うことはない。あなたの好きなコンピュータを買えばいい。
間違えてはいけないことがある。購入すべきなのはあなたが好きなコンピュータだ。好きではないコンピュータを買ってはいけない。それは、あなたにとってもそのコンピュータにとっても不幸なことだ。あなたは自分の趣味に使用するためにコンピュータを購入するのだ。仕事用に買うわけではない。そこには一切の妥協があってはならない。自分の趣味以外のファクターが入り込んではならない。
そんなものは全部無視してしまえ。
最初から捨てるつもりでモノを買う人はいない。そのコンピュータを買う以上、あなたはそのコンピュータと付き合っていくつもりなのだろう。
買う前、あるいは買った直後は"性能がいい、評判がいい、皆が使っている"というのは、利点になるかもしれない。だが、四半期が過ぎれば新しいコンピュータが出てくるのだ。幾ら性能がよくても時の流れに逆らうことはできない。その性能や評判というのは、必ず陳腐化してしまう。陳腐化した後に、あなたはどうするのだ ? いつか陳腐化してしまうことがわかっているのに、また新しい機種を買うのか ? それとも、陳腐化したコンピュータを悪態をつきながら使い続けるのか ?
どちらの方法を取るにせよ、それは不幸なことだ。それは、コンピュータとの幸せな付き合い方ではない。
あらゆるモノと同様に、コンピュータもまた消耗品であることにかわりはない。いつかは壊れ、修理もできないようになってしまい、結局捨てるしかなくなってしまう。それは確かに事実だ。
しかし、新製品が出たらすぐさま"旧世代に追いやられた新製品"をスクラップに変えてしまうという、今のコンピュータの扱い方は本当に正しいのだろうか。機能や性能は重要だ。だが、それだけではない"何か"を我々*2は求めているのではないのか ?
昨今、この業界で企業が語ることは(細かい差異があるにせよ)基本的には皆同じだ。曰く「この性能、機能、信頼性をこの価格で !!」。
オーケー。確かにそっちのコンピュータの方が安い。性能もいい。最新型だ。市場の評判もいいし、使っている人達からも不満の声は聞こえてこない。
だが、そんなことはどうでもいいことなのだ。
なんでそのコンピュータが好きなのか、理由は分からない。
理由を言葉にすることができる。文章にすることも可能だ。だが、言葉にして発したところで、文章にして書いたところで、その理由は途端に嘘っぽくなる。その理由がそのコンピュータを好きな理由ではないことに気付く。
なんでそのコンピュータに惹かれるのか、理由は分からない。
格好が、性能が、機能が、そう理由付けをすることはできる。だが、ちょっと考えてみると、そのコンピュータより格好良く、性能がよく、機能性に溢れているものもある。だけど、それらには何故か惹かれない。
なんでそのコンピュータを買いたいのか、理由は分からない。
扱いにくいような気もする。他のコンピュータを買った方が、自分の目的は迅速かつ効率的に達成される気もする。他のもっと安いコンピュータも沢山ある。だけど、そのコンピュータが買いたい。
その想いを大切にしよう。自分が感じたものを大切にしよう。それは、信じていける。それは、信じられる。
他人の意見など聞く必要はない。あなた自身が使うコンピュータは、あなた自身が信じた感情のままに購入するべきだ。
いつかはそんな状況になるだろう。もしかしたら、購入した時点でそんな状況かもしれない。そんな状況で次のように感じられるなら、それはあなたにとっても、あなたのコンピュータにとっても、幸せなことだろう。
いつかは、そのコンピュータを使わなくなるときが必ずやってくる。その時に、あなたはどう思うだろう ? 何を感じられるだろう ?
そのコンピュータに感謝することができるだろうか。
別れの時にそう思えるような、そんなコンピュータを選ぶことが大切だ。そうやって選んだコンピュータを使っている時間は、たとえそのコンピュータを使わなくなった後でも、必ず幸せなものとしてあなたの記憶に残ることになるだろう。
私が所有しているコンピュータの中で、CPU のクロックが 1GHz を越えているのは 1台だけです。
私が所有しているコンピュータの中で、一番使われていないのはそのコンピュータです。
結局、そういうことなんだろうと。速いというのは魅力的な要素ですが、コンピュータの魅力ってそれだけじゃないと私は思っています。文章とか小さい script とかをただ書いているだけの作業では、旧世代の機種でも新世代の機種でもどちらも変わりはないはず。ですが、やっぱり自分が好きなコンピュータ上で作業していると不思議と楽しく、また安心して作業ができているような気がします。そういう目に見えない部分って大切なんだな、と。
正しい選択肢は知っています。でも、私はそれを選びません。
いつも使うものだからこそ、自分の感覚と合ったものを使っていきたいものですね。