「チャンレンジド」ってできた時には「おぉ、また新たな差別用語が」とか思ったんだけど、結構使われてるんだなあ。そんな言葉は脳味噌がチャレンジドな人達には全然通じないよ。主に私とか。
メッセージを交換している人が元ゲームデザイナだったという噂。
[alpha@colinux]-[07:33 PM]-[~/public_html/pygeon/Pygeon/tmp]#0
::: cat c
def cal(year, lst = []):
if len(lst) == 12:
return lst
else:
lst.append('/'.join([str(year), str(len(lst) + 1)]))
return cal(year, lst)
print cal(2002)
print cal(2003)
[alpha@colinux]-[07:33 PM]-[~/public_html/pygeon/Pygeon/tmp]#0
::: python c
['2002/1', '2002/2', '2002/3', '2002/4', '2002/5', '2002/6', '2002/7', '2002/8', '2002/9', '2002/10', '2002/11', '2002/12']
['2002/1', '2002/2', '2002/3', '2002/4', '2002/5', '2002/6', '2002/7', '2002/8', '2002/9', '2002/10', '2002/11', '2002/12']
再帰が悪いのか? 再帰が悪いのか? と思ってたら単なるデフォルト引数の評価の問題だったという落ち。なんたる。
[alpha@colinux]-[07:35 PM]-[~/public_html/pygeon/Pygeon/tmp]#1
::: cat i
def cal(year, lst):
if len(lst) == 12:
return lst
else:
lst.append('/'.join([str(year), str(len(lst) + 1)]))
return cal(year, lst)
print cal(2002, [])
print cal(2003, [])
[alpha@colinux]-[07:35 PM]-[~/public_html/pygeon/Pygeon/tmp]#1
::: python i
['2002/1', '2002/2', '2002/3', '2002/4', '2002/5', '2002/6', '2002/7', '2002/8', '2002/9', '2002/10', '2002/11', '2002/12']
['2003/1', '2003/2', '2003/3', '2003/4', '2003/5', '2003/6', '2003/7', '2003/8', '2003/9', '2003/10', '2003/11', '2003/12']
[alpha@colinux]-[07:35 PM]-[~/public_html/pygeon/Pygeon/tmp]#1
::: diff -u c i
--- c 2008-07-23 19:32:53.000000000 +0900
+++ i 2008-07-23 19:35:35.000000000 +0900
@@ -1,9 +1,9 @@
-def cal(year, lst = []):
+def cal(year, lst):
if len(lst) == 12:
return lst
else:
lst.append('/'.join([str(year), str(len(lst) + 1)]))
return cal(year, lst)
-print cal(2002)
-print cal(2003)
+print cal(2002, [])
+print cal(2003, [])
最近医療の裁判と医師離れについてやってるけどさ、これって医療だけじゃないよな。介護だってそうだし、言ってしまえばプログラミングだって(今はどこにでも「システム」があると考えれば)一緒だよ。私がこの中で一番よく知ってるのは介護だけど、介護の場合例えばある大手介護施設では腕一本500万円という話を聞いたことがある。腕一本骨折させたら500万円っていう話。じゃあ命の値段って幾らよ、っていう話にもなるんだけど。
医療、介護、システム開発、今あげた3つの中で共通するのは全部「激務」っていうことで、最前線の底辺が(少なくとも日本では)苛烈な作業量に面しているわけで、それ+こんな問題がでてきたら、やる人間なんて誰もいなくなるわな。人間疲れてくれば意識は混濁してくるし、眠くなれば朦朧とするわけで、こんなのを精神論でバッシングされたら現場の人間のモチベーションはますます下降する。具体的な解決方法が提示されない限り、今の負のスパイラルが止まることなんてありはしないよ。
日記を書く暇が戻ってきたというのはいいことだ。
さて、一般的なものは公式のほうでまとめたから、真情の吐露でもしておこう。後でコミュニティ系サービスをまたすることになったら(ありえんとは思うけど)、参考になるだろうし。
結局の所、身内パワーに負けた、ということなのかなとは思う。まあ考えてみれば普通のことで、(ある程度のレベルを逸していない限りは)誰を責めると言うわけでもないんだけど。疲れて家に帰って、あるいは物事がうまくいかなくて家に帰って、そこでやるゲームでうまくいかない、なんてことには誰もなりたくないわけで。
どんなゲームでもある程度のストレスというのは生じるものだけれども、それ以外の本質的ではないコミュニケーション摩擦みたいなのは誰も感じたくはないよね。それこそ昼間思う存分感じているわけだから。だから、ある程度そのコミュニティに馴染んだら新しい出会いを求める(=摩擦が発生するかもしれないというリスクを同時に負う)よりは、そのコミュニティの中でよく知っている人の中からつるむ人を選んで、その人達と一緒にいたほうがいいわけだ。この日記のどこかで書いた記憶があるんだけど、「人というのは結局内側に集まる」ということだ。SNSが流行るわけだよ。
後は、私が止めた本当の理由は「それで私が楽しめなくなった」から。もちろん時間は少なくなってるし、いじれる時間も前と比べれば激減しているのはそうなんだけど。でも、人間ってそれが本当に楽しいものであるのならば、例え時間が少なくたってそれをやろうとするものだよ。そういった気持ちを読んだ上で何も言わない人もいるけど、そういった気持ちが全くわからない人のほうが多いのは……なんなんだろうね。本当に楽しいなら止めるわけないじゃん。何でそんな単純なこともわからないんだろう? それとも気付いているけど、自分達に矢が飛んでくるのが怖くて黙っているのかな?
今まで接してきたウェブの人々とは違って、今回は年齢が低かった人達が割合いたように思う。まあ一人一人に年齢を聞いてまわったわけじゃないが、なんていうかな、2chにいりびたって携帯でも2chやってるような連中。率直な話、どうにもならない。私と彼ら/彼女らでは話す言葉自体が違うようでコミュニケーションが取れない。「ちょwwwwwwおまwwwwwww」みたいな。彼ら/彼女らは自分の言葉を話さない(「w」だけで会話できるのなら、そりゃ自分の言葉を話す必要はない)し、モニター越しに見える文章が人間から発信されてることすら根っこのところではわかってないんじゃないだろうか。
そういった悪貨が良貨を次々、本当に次々に駆逐していく情景を見るのは本当に本当に悲しいことだった。今私と一緒の時期に引退したプレイヤーとメッセージをやり取りしているんだけど、その中で「おぉ、まさしく」と思ったのを貼っておこう。
今、あのコミュニティは飲んだくれの居酒屋になりつつあるのかもしれません。
プレイヤーや新規の方が去っていくのは、暴言の単語が怖いだけではなくて、初対面なのに酔っ払って顔を物凄く近付けて、酒臭い息で馴れ馴れしく説教垂れてくる頭にネクタイ締めた、ろれつの回らないオッサンたちへの嫌悪感に近いものなんだろうなーと思う。
しかもそれが初対面の自分へのダメ出し暴言なら、尚更のコトでしょう……。
そういったものに抵抗心はあったから、そういう風になるような機能は実装しなかった。私はプログラマなんだから、言葉ではなくコードで示せばいい話で。それに賛同してくれた人ももちろんいるわけだけど、コミュニティ全体(あるいは声のデカイ人々)としてはNoという結果だったわけだ。それ自体は別に構わないけれど、私はそんなところにはいたくありませんよ、ということ。身を引く人間が「昔は良かった」なんて言うのは、あまりにもステレオタイプだとは思う。それでも、私はこう言いたいね「昔は良かった」。そこには誰でも迎え入れる包容力があって、大きなコミュニティの中の一人であるという謙虚な自覚があって、自分さえ楽しければそれでいいなんていう醜い考え方の持ち主は自然と淘汰される内部律があった。今ではそんなことは望むべくもない。
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」もちろんそうだ。でも、きっとあなた方は面と向かったらそうは言わないはずだ。言える人もいるかもしれないし、私は言える人のことは何も言わない(ある意味それはカッコいい。生き難そうだけど)。でも、あなた方は違うでしょ。あなた方は単に日常生活の鬱憤をそういう言葉を使って吐き出したいだけだ。そしてそういう言葉を許容する仲間と楽しみたいだけだ。その場を作ったものがどんな想いでいるか、そして実際にその想いを吐露されたって関係ない。そういうことでしょ? 前も書いたけど、彼ら/彼女らにとっては「場」というものは本当に使い捨てなんだな、と。
かつてキラキラと輝いていた宝石が、一部の身勝手な連中に食い荒らされ、親しい人は去っていき(そうそう、この人なら管理をも任せられるかも……と思っていた人が、馬鹿どもの集中砲火くらって何も言わずに去ったしまったのも私が止めた原因だ)、ガラクタと同じようにただただ消費されていく。そんな情景が、その「場」を提供している人間を楽しませることなんてないに決まってるだろうに。サンタクロースが本当にいて、北の国からプレゼントを持ってきてくれてると信じている子供と一緒だ。実際にプレゼントを買っている親のことなんて、彼ら/彼女らは思いもしないんだろう。あまりにも幼稚すぎる。
だから未来の私へ。もうそういったコミュニティが形成されそうなサービスはしないほうがいいよ。コードを書くのが楽しい。それはわかる。でも、サービスをやっている時に大事になるのは「このユーザの方々を楽しませていることが楽しい」という想いだから。自分で考えることの出来ない、自分の言葉すら喋れない幼稚園児相手にサービスを提供するなんていうのは、コードを書く楽しみ以外のインセンティブがない限り破綻するよ。
そういった面倒事を背負い込みたくなかったら、自分だけが使うプログラムを書くべきだね。丁度、今私がそうしているように。ここはとても平和だ。
終了報告を各方面に打電した後、告知をトップに張ったのが昨日の夕方頃。ぼちぼち各プレイヤーにも伝わったようで、まあ色々と反応があった。長々とした終了報告を書き終わった時点でもう私の中では終了したわけで、それがプレイヤーにとって激震であったとしても、それを見る私の目はもう何も語ることはない。
あっけないものだね。今は延々と書き続けてきたコードを、svnで取れない(そもそもsvnで取れない時点で運営するのは無理なんだけど、そこまで言うこともなし)人達のためにパッケージングしている状態。svn exportで沢山のファイルがターミナル上を流れてる。それを見ながら我ながらよく頑張ったなあって自分を褒めたくなってる。889回のcommit、15000行のRubyコード。Rubyのコードは全部0から全て私が書いたわけじゃないけど、まあよくやったもんだ。
Google Chart APIの限界にぶちあたってpygooglechartがBad Requestくらって止まってた。
何かをずっと隠したつもりでやっていても、自分の中に少しずつ、ほんの少しずつでも、たまっていくんだよなあ。私も若いとは言えない年齢になって、そういった自分を騙すことにも慣れてはいるけど、それでもその堆積物は0にはならないんだよね。幾ら綺麗に騙しても、自分を騙しきることはできないから。それが0じゃなければいつかは堤防が決壊して、今までたまってきた膿が後から後から出てきてしまう。ほんと、今がそんな時なのかもしれない。
ほんの何気ないたったひとつのメッセージ、しかも私の膿とは直接の関係のないものが、どんどんと私を押し流していっている。正直、この日記を書き始めた瞬間は止めようという想いはそれほど大きくはなかったんだけど、今、頭の中では止める時の手順のブループリントが描かれはじめている。
まあ、よくやったよな。2年半、Perl/Ruby/Python/PHP/C++で日々コードを書いて、日の目を見たコードの数は数え切れない。今、 wids.netのトップページを見たけど、lab/にあるスクリプトなんて全てガラクタに見える。付き合いたくもないバカにも数え切れないほど接したけど、会えて良かったと思えるほどの人にも何人か会えた。そしてその人達のために働けたし、約束も果たせた。彼と彼女はそれを約束とは思ってはいないかもしれないし、そんな責任なんて果たす必要はないと言うかもしれないけれど、それでも私は彼と彼女に何かをしたかった。2人には確かにpleasureを提供できた。他の数人にも。それでいいんじゃないかな。
……すごい終了の気配になってきた。頭の中も凄い終了するつもりになってる。というか全部停止してそのコミュニティから本気で足を洗う気配になってる。えぇと、本当にそれでいいのか私。"of course!"とか言う声が頭のどこかから聞こえる。もしかしたら、ここに足を突っ込んでから全く触らなくなったヴァイオリンからかもしれない。
とりあえずほんとに終了させる手続きに入った。もう後戻りはできないし、するつもりもない。8月末で終了だな。
まあ実際の話、プライベートのことを考えると終了させたほうが充実するのは分かりきってることなんだよね。はっきり言って楽しくもない、誰のためにやってるかわからない(私がプレイしたいと思わないんだもの。最悪だ)ような作業を延々続けるなんてのは無駄以外の何物でもない。これから仕事も私事も忙しくなるのに、こんな重いものを引きずってなんていられないよ。
シンプルに生きなければならない。これは私にとって何事にも替え難い法則だ。あまりにも長い間、私は自分自身を騙し過ぎていたと思う。
今日の日記は半リアルタイムでお届けしました。
嘘だった。ウェブサイトは9だよ。アホらしい。
今回はメモリが256MBしかないからapacheじゃなくてlighttpd使ったんだけど、軽い。確かに軽い。どこどこプロセスを貼り付けるアプリなのにメモリが余る余る。でも正直.htaccessに書くのを全部lighttpd.confに書くのってかなりめんどかった。ドキュメントとか色々見てるとapacheの置き換えを狙ってないなーというのはよくわかる。もう少しクローズドというか、ニッチ的な、それこそ今回私が使ったような1ホストに1 ウェブアプリのみ、みたいな用途にフォーカスしてるんだろうねえ。apacheのリクエストを丸投げされて下請けとかの用途とかにも使われてるみたいだし、多分そういう用途で使うのが真っ当な使い方なんだろう。しかし、一昔前まではApache/IIS/NetscapeEnterprise (iPlanetって名前もあったね)くらいしかなかったhttpdの世界も、今や沢山あるもんなんだねえ。litespeedくらいまでは聞いたことがあったけど、ロシア製の何だっけ、ngnix?なんてはじめて聞いたよ。とりあえず話がまとまらないのでこのまま終わり。