アイデアはあったんだが実現する暇が取れず、結局今年もなにもなし。うーん、つまらん。
なんか dayomon.net の中の人の日記を見てて、昔の TV ゲームのことを思い出すことしきり。RPG が好きで RPG ばっかりやってた記憶があるんだが何故か RPG のことは思い出せず、縦シューティングとか横アクションとかそういう単純なものの方が記憶に残っているのが不思議と言えば不思議だ。
最後にやったのが確か "レイディアントシルバーガン" と "シルエットミラージュ"*1だったような気がするが、両方とも本当に素晴らしかった。
ゲームは好きですよ。ゲームのために今日を楽しく生きられる人。ゲームのために明日を楽しく待てる人。そんな人が一杯いると思う。
「ゲームは好きですか」という質問に対しての飯野賢治氏の言葉だけど、その通りだと思う。私はゲームをすることで "楽しい" ということがどういうことかを学んだし、それはゲームをしなくなった今でも私の中に残っている。
文章を書くときでも、HTML を書くときでも、プログラムを書くときでもそういう "楽しさ" というのは大事にしていきたいものだな、と。「これは自己満足です」って開き直るのもいいけれど、そこに受け手がいる限り受け手を楽しませようと試行錯誤するのもひとつのやり方なのではないかな。「俺ってスゲーぜ神だぜ仏だぜ」みたいのもそれはそれで楽しいけど、「なんか作ってみたけど見てくれよ兄弟」→「おぉスゲースゲーていうか目茶目茶凄すぎむしろ神 ?」→「まじでまじでまじで ? 何かめちゃ嬉しいって言うかハッピーラッキードラッキーだぜオーイェー」みたいな*2のも、幸せ連鎖というか楽しさスパイラルみたいでイイな、と。
何かを作っていく限り、そういう "俺も幸せお前も幸せ皆幸せになっちまえ" 的な考え方は忘れないようにしたいものだね。
# ......... 脱線しすぎだな(^^;。
何か私が「無念だ」って言ってそこから「 白い巨塔 のほにゃららさんみたいだね」って話になって、「見てました ?」「いや見てないけど」って話に繋がり、以下のような会話に。
「TV とかって見ないんですか ?」
「よほどのことがない限りね」
「えー、最後に TV 見たのいつですかー ?」
「911 の時に友人から電話があってニュース見たのが最後かなぁ。そうすると大体 2年半前だねー」
「うっそー!!」
「信じらんなーい!!」*1
何が信じられないのか不明。
世の中には「音楽なんて非生産的なモノは世の中には必要ない」なんてことを言う人だっているんだし、それに比べたら「TV なんて特別なとき以外は見る必要がない」なんて主張は変じゃないと思うが。イイ番組はあるのかもしれんが、それを探したりチェックしたりする手間を考えると、バッサリ切り捨てた方が楽だしなぁ。
記事では表面的なことしか触れられていないが、実際はどうなんだろう。
1, まぢでこんな感じでした。「年齢と言動があってないぞアンタら」という言葉はかろうじて飲みこみましたとも、ええ。