Halting and Ruminating, like a Kangaroo: 2008/4a


04 / 15 (Tue)

_ 日記

RTDSは確か15日も上旬に含める仕様になってるような気がしたんだけど、これは何でなんでなんだろう? なんでなんでなんだろう? なんだろう。

今欲しいもの
dreamhostの自由度・値段とさくらの安定性・速度を持ったサーバ

それはサクッとしながらとろとろの食感のようなものだ。何事も言葉で言うのは容易い。「たやすい」を「容易い」と書くように。

そういえばこの前内観をした。なんてマニアック。内観なんて誰もしらねーよ。まあそれはどうでもいいけど。別に一般的な感想はどうでもいい(感想なんてそんなもんだ)んだけど、私はそれなりに幸せなんだなあと思ったね。他人の両親を知ってる人なんてどこにもいないわけで、私も自分の両親(幸か不幸か3人いるが)しか知らない。でも、この両親で良かった、もう一度生まれるにしてもこの両親でいいよ、と思えるのは幸せなことなんだと思う。まあたいていの親は子に対して愛を持って接している(子がそれに気付いているかどうかは問題じゃない)。それでもボタンの掛け違いでお互いに理解することができない親子の何と多いことよ。多分、一人でもいいから子供を立派に育てきってからしか、本当に自分の親のことなんて何もわからないんだろうなあと。若造がちゃらちゃらしながら(別にビジュアルの話ではない)「親なんだから当たり前」「親になんて何もしてもらってないね」とか言うのを聞くと、その親子が不幸だとか、何もわかってねえなとかと思うよりも前に、非常に残念という想いが先にたつね。

ヒヨコは卵の中からでも親の愛を感じることができて、そして殻を破ったら親のことがわかるのに。人間が殻に閉じこもっていても親の愛が感じられないのはとても不思議なことだ。道は道を切り開こうと思ったものの前にのみ姿を現す。その人がわかることを拒否するなら、何もわからない。結局、そういうことなのかもしれないけれど。

でも、そういう子供がうじうじいいながら、「俺は夢を叶えるんだ。俺はひとりで夢を叶えるんだ。誰の力も借りねえ」なんて言いながらその丸っこい指でピックをぶんぶん振り回していても、それでも飢えることもなく蔑まれることもなく自分の墓穴を掘り続けてられるっていうのは、本当にこの国が平和なおかげだ。ああ、平和なクニ、ニッポン。何とその素晴らしきこと。日本はダメだと言っているヒトタチ、こんな平和なクニがどこに一体ありますか。何とも温かく、平和で、安定していて、そして愚かであることよ。


No Unix, No Life.
©2009 H.Miyamoto

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