Halting and Ruminating, like a Kangaroo: 2007/11a


11 / 01 (Thu)

_ diario

itojunが37で亡くなったらしい。素晴らしいコードをありがとう。我が青春の坂井泉水さんが亡くなった時も思ったけれども、なんというか、すごいありきたりの表現だけれど、早すぎるよ。

もう11月ですね。

11 / 02 (Fri)

_ Tagebuch

ナンデスカJSONて。なんというか、JSONがXMLとかYAMLと同列な存在ならいいんだ。厳密には違うけど、YAMLのサブセットみたいなもんらしいし。でもなー、XHRで通してクライアント側で操作すると生じるこの気持ち悪さは何だろう。responseXMLでごにょごにょしてる時と同じようなもんなんだけど。APPとかdrubyとかでも生じないこのもやもやしたのは何だ!

それはね、マギー。こいつのせいだよ → eval()

いやー、もちろんそれもあるんだろうけど、JSON over XHRの気持ち悪さってそれがある言語のリテラルだからだ。YAMLはあくまでもマークアップ言語であるのに対してJSONはそのままJavaScriptで通ってしまう。お前はデータなのかプログラムなのかはっきりせえと。それが気持ち悪い。本能的な怖さというか。rubyのソフトウェアでsoftwarercとか、.softwareをrubyスクリプトで書いてそのまま読み込むのが結構あるけど、それがリモートからきてたら気持ち悪いっていうか怖いっていうか、それ絶対パースしたくないよ。HTTPでrubyのリテラルで書かれたデータが飛んできたらそのままevalすんのかお前っ! というようなもやもや、もあもあ、むあー。それでもJSONを使うしかない悲しさ。でも、使うととても楽だということは認める。私よわ。だって2箇所のエレメントを1本のコネクションで簡単に更新するのJSON使うしかないんだもの。 JavaScriptでうにうにすればできるだろうけど、それは私に春の杉林で野宿しろと言っているようなものだ。

今日はYさんの退職日。寝耳に水。未来に希望ある若者がその情熱を途中で消して雑踏の中にまぎれていこうとしている姿を見るのはとてもとても悲しいものだ。もちろん、その人の人生はその人のものであるから、その決断に対してどうこう言うつもりは全くない。沢山の人たちが現れては消えていっているわけだし。でも、私はとても悲しい。それだけ。

まあ、そんなこんなんですが、そろそろです。svn ci -m 'enable ...'よりsvn ci -m 'fix ...'が多くなってきました。お届けものは、もうすぐです。

11 / 03 (Sat)

_ diaryism

閉鎖発表で激震。いろいろな面で、いろいろなことが、いいほうに働いてくれればと思う。

テスターの方々にメールを送信しています……。しばらくお待ち下さい……。んあれ? 妙だな。信頼できるとこにしか出してないはずのメールアドレスに SPAMが来てる。どこもかしこも油断できないねえ。11月は12日あたりから東京出張があるからそれまでに間に合わせたいね。

そういえば、生き急いでいるヒトタチというのは疲れないのかな、と。私も過去に生き急いでいたと自分でも思っていた(でも、都会に生きる人々はみんなある部分では生き急いでいない? 自分で気づいていなくても)けれど、ずいぶん落ち着いた現在、そういう人を見るととても大変そうに見える。多分、本当の「忙しい」という言葉は彼ら/彼女らに向けて言うべき言葉なんだろう。彼ら/彼女らは何か大切なものを探しているように見えるんだけど、忙しすぎて彼ら/ 彼女ら自身はそれを忘れてしまっているように見える。あるいは、忘れていないにせよどこへ進んでいいかわからない。何しろそんなことを考えるには彼ら/彼女らは忙しすぎる。オアシスを求めて歩くラクダがオアシスについても水に気づかずに歩き続けるように、彼ら/彼女らは何で自分が歩いているのか、その当初の目的とは関係ないところで歩き続けなければならないと思ってるかのようだ。水が飲みたい→オアシスまで歩き続けよう→歩き続けよう→歩き続けよう....→オアシスに着いた→でも水を飲むためには歩き続けなければ。別に歩かなくてもすぐそこに水はあるのに、私達はいつのまにかそれを忘れてしまう。だって、まわりも歩いているよ? まわりが歩いているのはそこに水がないからだと思ってしまう。あるいは、まわりが歩き続けているのはもっといい水があるからだと思ってしまう。もっと、もっともっと。水は目の前にあるのに。あなたの水が目の前にあるのに。他のラクダは蜃気楼に向かって歩き続けているのかもしれないのに。もっと、もっともっと。彼ら/彼女らはどこに至るために歩き続け、そして忙しくし続けているんだろう。忙しさは心を亡くす、と書くけれど、そんなことを引き合いに出さずとも、自らの心は荒んで、磨り減っていくのに。でも、そんなことを気づくことすら彼ら/彼女らは忙しすぎてできないんだと思う。

もちろん、ラクダはそんなことにはならない。ラクダは自分の求めるものをちゃんと知っている。

11 / 04 (Sun)

_ diary()

FlexScan L565の黒ずみと同時にどんどん画面ブレもはじまってたんだけど、暖まればかなりマシになるようだ。古いほうが14348時間。新しいほうが13479時間。おや? あんまり時間変わらないのに古いほうが明らかに調子悪いな。さすがリコール品。届いたのが2002/06/25みたいだから、

[alpha@colinux]-[02:01 AM]-[~/public_html/m]
 ::: ruby -e 'puts (14348.0 / ((Time.now - Time.local(2002, 06, 25)) / 60 / 60)) * 24'
 7.33131486369297

毎日7時間くらいは点けてるらしい。こりゃ目も悪くなるわな。もちろん、こんなのがワンライナーで書けるほど私の頭は良くない。っていうか、あってるんかコレ。

OperaのJavaScript実行が速すぎる件について。IEは言うにおよばずFirefoxと比べても歴然と違う。すげえ。しかしブラウザを増やせば増やすほど実装の差が。お前らええかげんにせえよ。なんでウェブ開発なんてこの世界のある意味末端の開発者がグラフィックボードメーカのような真似(= ハードの不具合をドライバで潰す不毛な行為の意)せなあかんねん。頼むからしっかりせえよ。

11 / 05 (Mon)

_ Diary.new()

背景を変えてみた。月のロゴから仰いでる人へ。こういう全画面ぶち抜きの背景は、色調が淡ければ気にならないといえば気にならないけど、気になるといえば気になる。結構集中力が発散すれば発散するという感じ。結局どっちだよ。うーん、まあ、どうでもいいや。そういえば月に黒い人影は旧友のDさんの原画を元にしたものだった。私の友人の中では唯一絵が描ける人(ウェブの知り合いは友人ではないという仮定に基づく)だったけど、今頃どうしてるだろうね。昔は人からそう見られているほどの親友でもなかったが、今なら話があいそうだ。もう会うこともないだろうけど。

変遷に追加。

  • 0107a 〜 0110a: PARLIA.D (PoorFlat)
  • 200110b 〜 200205a: RTDS 0.1.x (EmbossBlue) ※ .rhtml
  • 200205b 〜 200402b: RTDS 0.2 〜 0.4 (GrayBlue)
  • 200403a 〜 200501b: RTDS 0.5 (DEC.column)
  • 200507b 〜 200508b: RTDS 0.5 (DEC.column)
  • 200510a 〜 200605b: RTDS 0.6 〜 0.7 (FlatGray.MoonLogo)
  • 200710a 〜 200710b: RTDS 0.6 〜 0.7 (FlatGray.MoonLogo)
  • 200711a 〜 : RTDS 0.8 (FlatGray.BGImage)

何かディスクフルくらいそうになってたので、FedoreCore7が入ってたパーティーションを潰す。

とりあえず私には1日24時間しかないので、私が出会う全ての人の全人生に全力を傾けるというのは不可能です。過ぎ去っていく人たちに私ができることと言ったら帽子を振ることくらい。後は、その人が頑張るしかない。たとえその人が頑張らなくても、私にできることはなにひとつありません。

11 / 06 (Tue)

_ Diary->new;

たとえば、目覚まし時計には複雑な方法を使わないとベルが止まらないものがある。右を何回とか右左にあるのを同時に押すとか。これは覚醒状態になるまでベルを止めない、ということを考えてこういう設計になっている。目覚まし時計の役割を思えば、これは妥当な設計だ。しかし、この複雑な方式を採用した目覚まし時計の電池交換が非常に簡単なら、極端に言えば電池カバーがなく電池をすぐに取り出せるようになっていたらどうだろう。未覚醒の人は複雑な解法を試さず、シンプルに電池を抜くだろう。さて、コンピュータ用の目覚ましというのを考えてみる。複雑な方式、つまりコンピュータなら何らかのクイズを出し、それを考えてキーボードで打たないと音が止まらない、そういう方式を採用することができる。しかし、実際にはこれは意味がない機能だ。なぜなら、PC用のスピーカにはボリュームつまみが付いていることが多い、また付いていなかったとしても、メインボリュームを落としてしまえばいいからだ。電池を外す代わりに、そういう代替手段がある。そして電池カバーの場合を違い、メインボリュームをいちソフトウェアでロックする、というのは現実的な方法ではない。スピーカのボリュームにいたっては、どうすることもできない。つまり、ソフトウェアで行う複雑な解法は(この場合は)意味がないということになる。

アイデアは全てが財宝ではない。ガラクタも沢山ある。思いついたアイデア全てを実装するのは愚かだということの例え。

くそったれ、サーバで自分締め出しをやってしまった。どうにもできんため、復旧依頼を投げておく。3年で1回か。ぐええ。愚かだ。

つか、FedoraCore7なんてねーよ。 > 昨日の私 & ぐぐる(1300件)

11 / 07 (Wed)

_ new Diary();

私の青春が終わった。

ある人にとって、青春が終わるのはどんなときだろう。それはもしかしたら、初恋が破れた時かもしれない。あるいは一人暮らしをはじめた時かもしれない。初任給をもらった時かもしれないし、結婚した時かもしれない。あるいは、あるいはもしかしたら、子供が生まれた時かもしれないし、子供の成長を見た時かもしれない。

とにかく、私の青春は終わった。今日、終わった。

Folks, my youth is now history. I am now playing with other days.

けれども、既に新しい環境で新しい日々が私にはある。今は、そのことを静かに誇りながら、私の青春をともに過ごした人々に感謝したいと思う。過去があるから現在があり、現在があるから未来がある。そして私は現在の景色を結構気に入っている。私がこの景色を見れるのは、過去に私と過ごした人たちが私とともに笑い、泣き、時に怒ったりしたからだ。そのこと自体は別にいいことでも悪いことでもない。だけど、もう一度書くけど、私は今見えてる景色がそれなりに気に入っている。今、そう思えるのはあなた達のおかげだ。今までありがとう。

11 / 08 (Thu)

_ Not Written Here Syndrome

物事を進める中で難しいのは、そのはじまりと終わりである。そしておそらく、終わりが一番難しい。

終わりじゃなくて、はじまりがちょっとミスったかっ。ここ2日であげて完成にもっていくつもりだったんだが、何か気分が乗らんかった。ま、いいや。帰ってから開始して12月1日に公開かな。

11 / 09 (Fri)

_ diary, diaryed, diarying

そういえば玄米を白米に混ぜて食べるようになった。50/50なら水に漬けておく時間も必要ないし、水を1.5倍程度にしておけば炊き上がりはほとんど白米100と変わりない。別にヘルシーだとかそういうことに興味はない(私は喫煙者だ)んだけど、それがそこにあるなら使わない理由もないし。白米の減りも遅くできるしね。や、白米も買ってないから別に関係ないと言えば関係ないんだけど。以前と比べると食生活はそれなりに健康になったと思う。けれども、食生活だけで健康を維持しようとするのはちゃんちゃらおかしい。仕事、住環境、食生活、睡眠、運動、趣味、精神状態、それらが全て関係してくるのが健康状態であって、忙しすぎて最近ロクに寝てない健康食専門家なんてのはあってはならない存在だ。

まあ、私の場合は喫煙と夜更かしを直して適度な運動をすれば健康に気を遣ってることになるのかな。そんな生活はまっぴらごめんだけど。

無用なトラブルを避けるために口に出す必要はないよ。でも、偽物はちゃんと偽物と認識しないといけない。流されてはいけないよ。判断してないものは判断してないものとしてそれを留保すればいい。本質を見極めずに流行に踊らされていても、何も造りだせはしない。流行は誰かに作り出されていることもあるってことを忘れちゃいけない。

君はもっと本質を見るべきだ。それで、本質って何? それは自分で考えなさい。

君は神を信じるべきだ。神様ってどこにいるの? それは自分で考えなさい。

[alpha@colinux]-[02:57 AM]-[~/public_html/m]
 ::: ruby -Ku -e 'p 神様.どこ? == 本質.何?'
 -e:1: undefined local variable or method `神様' for main:Object (NameError)

神などいない。本質などない。でも、実はあなたの心の中に両方ともある。

ところで、正座用の椅子()があるって知ってた? 私はこの職場に来るまで知らなかった。今では茶道とか華道の人たちも結構使ってるらしいよ。

タイトルを考えるのが面倒になってきた件について。日記でいいだろ、アホか。

11 / 10 (Sat)

_ 日記ぃ

ドキュメント頑張って書いた。がむばって。たとえ明日世界が終わるとしても、私は今日リンゴの種をまく。たとえそのドキュメントが読まれないとしても、私は今日ドキュメントを書く。書いた。書いたどー。本番環境にチェックアウトもしたどー。おしゃー。

けれども、これはガラクタだ。

思うに、自分でプログラムを組むようになってから、本当にいろいろなものが目に付くようになってしまった。プログラムってこんなんだっけ? こんなにも不安定で、こんなにも脆弱で、こんなにも簡単に破綻するものだっけ? 私が憧れていたプログラムって、こんなのじゃない。はっきり言って、ウェブアプリケーションなんて全部ガラクタだ。確かに、使うには十分だ。困ったらリロードとか、困ったらブラウザ再立ち上げとか。くだらない広告とかどうでもいい画像の多用とかくそ遅い描画スピードとかアホみたいに遅い多重のJavaScriptとか。何だこれは。こんなのはあなた達が散々馬鹿にしてきたWindowsと何ら変わらないではないか。だいたいウェブアプリがあんな統一性のないUIをしてるから、iTunes!Picasa! Windows Media Player11!MS Office 2007!デスクトップアプリケーションのUIまでガタガタになってくんだよ。 UnixがAthena/Xaw3D/Motif/Qt/Gtk+でUIぼろぼろとか言ってたのはどこの誰だ。Java AWT!Java Swing! Java SWT!FLTK!TK!wxWidgets!.NET Framework!MFC!Win32API!Avalon!Aero!WPF! Windows.Formsはどこにいった!?

もうアホかと。頼むから処理した内容の見せ方じゃなくて処理する内容で感動させてくれと。UIなんてのは最後の添え物であって、んなことはどうでもいい。半透明スケスケなんてのはデザイナにやらせとけ。もっとイノベーションを! 本当のイノベーションを! 感動できるプログラムを! 一心不乱の素晴らしいプログラムを!! 我々はわずかに少数、透明スケスケUIを好む連中に比べれば物の数ではない。だが、諸君は本質を見つめることのできる一騎当千のプログラマだと私は信じている。ならば、我らは諸君と私で100万と1人のプログラマ集団となる。

面白くないんでこの辺で止める。そうそう、なんたらジェネレータはPythonでえらい簡単にできた。元々簡単なCGIだしね。

星が見えますか 星が見えますか
ああ 星が そこから星が見えますか
いくら見上げても 僕には見えません
ああ 星が 今日の僕には見えません

願いをかける 星さえ見えず
そんな気持ちなんです

都会の空に星を下さい 雲のすきまに星を下さい

海がありますか 海がありますか
ああ 海が あなたの町にはありますか
砂にうずめても かくしきれぬ想い
ああ 海に 大きな声で投げるんだ

深い涙の底に沈んだ
そんな気持ちなんです

都会の夜に海を下さい 広くやさしい海を下さい

ここでは夜に屋外に出ると満天の星を見ることができます。本当に満天の。視力が全然ない私でも、本当に、宝石箱をぶちまけたようなキラキラキラキラ光る空を見ることができます。

ここでは夕方に屋外に出ると物凄く穏やかな海を見ることができます。本当に穏やかな。この地域の暮らしに適応しているとは言いがたい私でも、本当に、静謐がある美術館に置かれた水彩画を見ているようなとろとろとろとろした海を見ることができます。

見なさい。世界は本当に美しい。その美しさの前には、言葉など全て無意味だ。

空を見上げることがなくなったら人間として何かが終わってると思う。

発作的にwids.netの掃除をはじめて0.243まいくろせこんずで挫折。

[alpha@lament]-[10:26 AM]-[~/public_html/www/wids.net]
 ::: find ./|wc
     3442    3442  126973

おーいえー。何でこんなにファイルがあるのか。どこから来てどこへ行くのか、私にはわかりません。

11 / 11 (Sun)

_ nickist

ああ、忘れてた。そういえばXULなんてのもあったね。

lang = ['perl', 'python', 'ruby', 'php']

print lang
print [x.capitalize() for x in lang]
print [y + ' is good lang' for y in [x.capitalize() for x in lang]]

def capitalize(list):
    for word in list:
        yield word.capitalize()

print [x for x in capitalize(lang)]
print [y + ' is good lang' for y in (word.capitalize() for word in lang)]

import re
def html_generate_with_id(elements):
    n = 0
    header = re.compile('^h\d+', re.IGNORECASE)

    for elm in elements:
        if re.match(header, elm):
            yield '<%s id="section%d">' % (elm, n)
            n += 1
        else:
            yield '<%s>' % elm

a = 'html head body h1 div h2 div p ul li li h2 p p h3 p h2 p'.split(' ')
print '\n'.join([e for e in html_generate_with_id(a)])

print list(set(a))

ジェネレータ式とsetの使いどころがイマイチ思い浮かばない。ジェネレータ式のほうは何となくリスト内包表記でメモリ爆発する代替として使えばいいのかしらんと思いつつも、setはよーわからん。dictionary使うまでもないときに使うくらいでええんかいな。それともこんな感じ?

def uniq(_list):
    s = list(set(_list))
    s.sort(key = _list.index)

    return(s)

a = 'html head body h1 div h2 div p ul li li h2 p p h3 p h2 p'.split(' ')
print a
print [x for x in uniq(a)]

なんか激しく使い方間違ってる。

PEP見てたらこんなのが。ウェブにあるやつだけかと思ってた。

[alpha@lament]-[10:39 AM]-[~]
 ::: python -c 'import this'
 The Zen of Python, by Tim Peters

 Beautiful is better than ugly.
 Explicit is better than implicit.
 Simple is better than complex.
 Complex is better than complicated.
 Flat is better than nested.
 Sparse is better than dense.
 Readability counts.
 Special cases aren't special enough to break the rules.
 Although practicality beats purity.
 Errors should never pass silently.
 Unless explicitly silenced.
 In the face of ambiguity, refuse the temptation to guess.
 There should be one-- and preferably only one --obvious way to do it.
 Although that way may not be obvious at first unless you're Dutch.
 Now is better than never.
 Although never is often better than *right* now.
 If the implementation is hard to explain, it's a bad idea.
 If the implementation is easy to explain, it may be a good idea.
 Namespaces are one honking great idea -- let's do more of those!

書き方がふるってる。

[alpha@colinux]-[12:43 PM]-[~]
 ::: cat /usr/lib/python2.4/this.py
 s = """Gur Mra bs Clguba, ol Gvz Crgref

 Ornhgvshy vf orggre guna htyl.
 Rkcyvpvg vf orggre guna vzcyvpvg.
 Fvzcyr vf orggre guna pbzcyrk.
 Pbzcyrk vf orggre guna pbzcyvpngrq.
 Syng vf orggre guna arfgrq.
 Fcnefr vf orggre guna qrafr.
 Ernqnovyvgl pbhagf.
 Fcrpvny pnfrf nera'g fcrpvny rabhtu gb oernx gur ehyrf.
 Nygubhtu cenpgvpnyvgl orngf chevgl.
 Reebef fubhyq arire cnff fvyragyl.
 Hayrff rkcyvpvgyl fvyraprq.
 Va gur snpr bs nzovthvgl, ershfr gur grzcgngvba gb thrff.
 Gurer fubhyq or bar-- naq cersrenoyl bayl bar --boivbhf jnl gb qb vg.
 Nygubhtu gung jnl znl abg or boivbhf ng svefg hayrff lbh'er Qhgpu.
 Abj vf orggre guna arire.
 Nygubhtu arire vf bsgra orggre guna *evtug* abj.
 Vs gur vzcyrzragngvba vf uneq gb rkcynva, vg'f n onq vqrn.
 Vs gur vzcyrzragngvba vf rnfl gb rkcynva, vg znl or n tbbq vqrn.
 Anzrfcnprf ner bar ubaxvat terng vqrn -- yrg'f qb zber bs gubfr!"""

 d = {}
 for c in (65, 97):
     for i in range(26):
              d[chr(i+c)] = chr((i+13) % 26 + c)

                 print "".join([d.get(c, c) for c in s])

rubyとかもruby -ruby -e ''とかで何か出たら面白いのに。こんな感じで。

[alpha@lament]-[10:45 AM]-[~]
 ::: ruby -ruby -e ''
 Principle of least surprise
[alpha@lament]-[10:45 AM]-[~]
 ::: cat uby.rb
 'Principle of least surprise'.display

テスターさん方に公開。大方予想通りの反応。 ← 厭味ったらしい言い方。このえせインテリが! 恥を知れ! ところで、pythonで使う':$'に BlueStoleが反応してめんどくさい。preの中なんだから無視してくれよ。一応fixして0.6.2出したけど、こういうのはfixじゃなくて workaroundと言う。

11 / 12 (Mon)

_ more diary

うーん。

# 0.py
print 2**38

でも実際に**なんて使ったことないぞ。+-、/とか%は使うけど。

# 1.py
str = """
g fmnc wms bgblr rpylqjyrc gr zw fylb.
rfyrq ufyr amknsrcpq ypc dmp.
bmgle gr gl zw fylb gq glcddgagclr ylb rfyr'q ufw rfgq rcvr gq qm jmle.
sqgle qrpgle.kyicrpylq() gq pcamkkclbcb.
lmu ynnjw ml rfc spj.
"""

# first take.
import re

def double_succ(str):
    char = re.compile('[a-z]')
    for c in str:
        if re.match(char, c):
            i = ord(c) + 2
            if i > ord('z'):
                minus = ord('z') - ord('a') + 1
                i -= minus
            yield chr(i)
        else:
            yield c

print ''.join([x for x in double_succ(str)])

# second take, after the hint.
import string

lc = string.lowercase
tr = lc[2:] + lc[:2]
print str.translate(string.maketrans(lc, tr))

でも実際にバイト(略。

# 2.py
import urllib, sys, os, re
dat = 'tmp.dat'

if not os.path.isfile(dat):
    res = urllib.urlopen(sys.argv[1])
    f = file(dat, 'w')
    f.write(res.read())
    f.close
    res.close

f = file(dat)
html = f.read().replace('\n', '')
f.close

r = re.compile(r'<!--.*?-->').findall(html)[1]
data = re.compile(r'<!--(.*)-->').sub(r'\1', r)

############# main quetion
d = dict()
min = 1

for c in data:
    try:
        d[c] += 1
    except KeyError:
        d[c] = 1

for k, v in d.iteritems():
    if not min or min > v:
        min = v

print ''.join([c for c in data if d[c] is min])

rubyでも思ってたことがああああ。ifと例外ってどっちがいいんだろうね。

# 3.py's library
import urllib, os, re

def pych_data(url, filepath):
    if not os.path.isfile(filepath):
        res = urllib.urlopen(url)
        f = file(filepath, 'w')
        f.write(res.read())
        f.close
        res.close

    f = file(filepath)
    html = f.read().replace('\n', '')
    f.close

    r = re.compile(r'<!--.*?-->').findall(html)[-1]
    s = re.compile(r'<!--(.*)-->').sub(r'\1', r)
    return(s)

2, 3ときたからこれからもこの形式かなーと思ってライブラリにしたら3で終わってた件について。

# 3.py
import dataget, sys
import re

data = dataget.pych_data(sys.argv[1], '3.dat')
r = re.compile('[a-z]{1,}[A-Z]{3}([a-z]{1})[A-Z]{3}[a-z]{1,}')
print ''.join([c for c in r.findall(data)])

[a-z]{1}って! {1}って何!?

# 4.py
import sys, re, urllib2, urlparse

def httpget(url):
    result = None
    res = urllib2.urlopen(url)
    result = res.read()
    res.close

    return(result)

u = sys.argv[1]

while True:
    print u
    r = httpget(u)
    print r

    n = r.split(' ')[-1]
    if re.match('^[^\d]+$', n):
        break

    url = list(urlparse.urlparse(u))
    url.pop()
    url.pop()
    url.append('nothing=' + n)
    url.append(None)

    u = urlparse.urlunparse(url)

ここまでやって5の質問を考えてるところで時間切れ。5は何を解けばいいんだ。

明日から東京へ出張。

11 / 13 (Tue)

_ most diary

ああ、忘れてた。日記をもう一回書くことになったら絶対書こうと思ってたことがあったんだった。

SNSって何でメールに本文挿入してくれないわけ? mixiがそうなっているのは知ってる。だからってOpenPNEとかもそうなってるのがあほだと思う。メール本文にメッセージを入れられない技術的な理由があるわけないだろ。もちろん、OpenPNEを使ってるところだってサーバ代という負担を抱えてるのはわかる。それによってmixiとかGREEとかその他の商業SNSと同じ方法を取りたいという考えもわからなくはない(ウェブの方に誘導しないと広告料が取れない)。だけど、とても気に入らない。何かそこにこ汚い根性を感じる。そうそう、オープンだオープンだと幾ら私達が騒いでみたところで、結局のところユーザが望んでいるのは完全にオープンな環境ではないことに最近気付いた。幾分、遅きに失した感があるけど、私は別にゲームやコミュニティの企画をしていたり、それに絡んでるわけでもないので、別に問題ではない。でも、それに気付いた時、少し、いや正直に書けばかなりがっかりした。人間だって群れる生き物だけれども、私は小さな集団で群れていたくはないと思うよ。群れるんだったらもっとでっかく群れようぜ。

今回の出張は移動が全部夜。前もそんな時があったような気もするけど、今回移動してみて本当に空と飛び立つ大地が全然違うことに気付く。出発の時、空には星空があり、地上の星は数えられる程度だった。けれども、降り立つ場所では地上に星があり、空に星はなく。地上の星は多く、色とりどりで煌々と光っていた。宇宙から地球の夜の様子を映した写真を、一般的な世界地図の形に直した画像をNASAが発表している。国という単位で見れば、日本は群を抜いて光り輝いている。確かに、地上の星はとてもとても美しかった。だけど、光があるところには常に闇があることを私達は忘れちゃいけない。そしてもしかしたら、光より闇のほうがいいんじゃないかってことも、常に頭の片隅に置いておかなきゃ。まあでもタクシーの運ちゃんによると、5年前と比べてすら松江の空気も悪くなってきてるらしいけどね。上海あたりから流れてくるスモッグが原因だって言ってたけど、それだけでもないでしょ。きっと。

11 / 14 (Wed)

_ お客様がお開きになった日記は、現在繋がりません。

兄と飲み。私は変わったらしい。まあ飲んだ状態の兄とまともに会話できたのは久しぶりと言えば久しぶりではあるね。でもね、私が許せないことをしたのはまあいいとしても(結局のところ、それは私の問題であって、兄の問題ではない)、自分が許せないことをするのはあまりよくないよ。お互いもう若くはないんだから、もうちっと慎重になろう。

式典に出席。塾の先生をやってるかたから、

そういえば、みやもとさんくらいの世代でも天皇とか国歌に対して、何かわだかまりみたいなのがあった?

という質問があった。今の子供達も結構うにうにしてる奴はいるらしい。そういえば、多分うちらの世代がはじめて国旗国歌の問題に触れた世代なんじゃないかな。国旗国歌法が制定されたのはいつか忘れた。ただ、私がまだ学生やってた頃に国歌斉唱で立ち上がらない教師がいたし、立ち上がらない生徒もいた。私はノンポリだったからあんまし気にしなかったけど、気にしていた生徒もいたことはいた。というか、私の友人(実は例のロゴの原版を描いた人)がそうだった。

というようなことを話した。今の私は天皇家に一定の敬意は持ってるからもう一度やっても立って歌う。ただそれと同時に、起立しない、歌わないという権利は誰にでも当たり前に持っているとも思う。

私はあなたの意見に全く賛成できない。しかし、あなたがそれを言う権利を持っていることについては、私の全存在をかけて死守するつもりだ。

結構あやふやだけど、こんなん。国旗国家法のからみで処罰される人がいた、あるいは今でもいるかもしれないけれど、これは本当に日本人特有の単なるヒステリックな感情論(日本人特有でもないかもしれない。アメリカも銃とかゲイとか不妊治療があるから)に過ぎないのであって、本来はこんな私刑じみた真似は許されるべきではない。私は、少なく見積もっても1500年以上同じ最高権力者の血筋を続けてきた過去の日本人という人々の慎ましやかな精神は(たとえそれが時に愚かな選択だったとしても)称えられるべきだと思うし、皇室外交などのメリットなどを考えれば天皇家の存続自体に異議はない。1つ目に言った理由で国旗国歌は別に今のでいいじゃんと思ってる。だけど、「そうではない」という意見を圧殺するのはあまりにも人間として幼稚な振る舞いだし、目の前の教師がそういう理由で処罰されるのを見る子供達にとって決していい影響を与えない。

最近の子供達には個性がない。

あなた達自身が、「個性というのは世の中に認められるもので、世の中の皆と同じでありながら、なおかつ優れたものでなければならない」と教えてるんですよ。勉強ができる。身体能力がある。芸術の才能がある。それはもちろん素晴らしいことです。でもどうやら、この国では「自分で真剣に考えて自分なりの答えを出し自分で行動する」ことは個性として認められないようですね。その個性を発揮した人間に対する仕打ちが、意見の圧殺であり、社会から強制的にドロップアウトさせることである以上、子供がそんな世間を信頼できるはずがないでしょう?

11 / 15 (Thu)

_ 20071115.diary.gz

そういえば出発する日、はじめてオープンソースラボに電気が点いていたのを見た。普通の人たちはあの「Ruby City Matsue」をどんな風に見てるんだろうね → 誰も目に入ってません。

社会人になった途端、学生時代の記憶が吹き飛んだように消えた。移動時間にちょっと暇があったので学生時代のことをどれくらい憶えてるか試してみたんだけど、人数で言えばおおよそ3%程度しか憶えていないようだ。小中高でやってみると、少なくともクラス全員の顔と名前は覚えていたとして、生徒が40xクラス替え3回でそれぞれ120。その内、顔と名前が一致する人がそれぞれ5, 3, 5で13人だった(小中一緒な面子は小に入れる)。顔が出てくるのは後 4, 5人くらいはいるんだけど、名前が出てこない。名前だけ出てくるけど顔がわからないというのはいなかった。まあ実際にはクラス替えがあっても同じクラスになることはあるわけで、厳密な数字ではないけど、大体こんなもんか、という感じ。数えてみると意外に多かったなというような結果だった。この日記には書けない色々なことがあって(そりゃ人生だもの。私にも書けないことくらいある)ある時期本当に記憶喪失かっとも焦ったんだけども、やっぱりどうもそうではないらしい。ちょっと安心。決して多いとは言えない数だけどね。まあそんな状況で顔と名前が一致しているわけだから、この13人はある程度仲が良かった(そもそも、私は私生活で自分に都合の悪いことはすぐに忘れるという特技があるので、記憶の中に仲が悪かった人が存在してない。0ということはありえないから、おそらく忘れてるんだろう)。でも、今思うと留保なしの自分を出せて本当に何でも話せていつでも笑いあえて悩みも相談できる(実際には、私は他人に個人的な悩みを相談したことは一度もない)、つまり親友と思えるのは、この中で2人だけだ。1人は高校時代の男子、もう1人は中学時代の女子。考えてみると、2人に共通するのは、どちらも本当にステレオタイプを具現化したかのように普通の人であって、なおかつそれなりにあほ(知能指数のことじゃなくて、持ってる雰囲気)で、まわりには好ましい人物であると思われているけれども深く友好的というタイプでもなく、それでいて私に対して恐怖(家系的に目が細いせいか、兄姉私全員、学生時代に「普通にしてるんだろうけど、(睨まれてる|冷ややかな目で見られてる)ように見える」と言われたことがある、らしい。私は今でも仲良くなった後で人にそういわれることがある。「はじめは目が怖かった」とか。背丈は小さいんだけどなあ)を全く持っていないという点だった。彼と彼女が何をもって私と付き合っていたのかはわからないし、当時の私だって何が作用して彼と彼女と付き合っていたかは定かじゃない。けれども、彼と彼女に出会えたことは確かな幸福な記憶となっている。彼と彼女の中でも、私との出会いが幸福な記憶になっていてくれれば、と願わずにはいられない。私は文章を書く時にでも心の中で防衛線を張ることが多い。普通なら「彼と彼女の中でも、私との出会いが幸福な記憶になっていてくれれば、と願わずにはいられない(憶えてなかったりして)」と書いたかもしれない。でも、私は彼と彼女が親友であった私を憶えていることを確信している。そう思える付き合いができたことを、今、素直に喜びたいと思う。たてちんとたまちゃん、あんたらのことだ、あんたらの。

ところで、幸運にも私にも彼女というものがいて、この13人の中にも当然入ってるんだけど、残念ながら彼女達はここで言う親友の中には入ってない。まあそんなもんだ。ちなみに教師は2人だった。一人は珍しい苗字(神尾)だったから覚えてたのと、もう一人は「安心して見ていられるが、常に物事を淡々とこなしている印象がある。もっと情熱的になってもよいのではないか」という私評を下した先生だったので憶えていた。あれには参ったよ。近藤先生。

ここまで長くしたからついでに書いておく。学生時代、憶えてる限りで教師に手を上げられたのは1回だ。とても驚いたことは憶えているが、怒った記憶はない。その教師の目が潤んでいたことは憶えているが、何でそんなことをされたのかは記憶にない。男の教師だったことは覚えているが、この教師は上記の顔と名前が一致する2名の中に含まれてはいない。多分、私のほうに非があって、かつ当時の私もそれを認めていて、だからこそ手を上げられたことは憶えていて、理由を憶えてないんだろう(書いていて、我ながら結構卑怯な記憶の仕方だと思った)。ちょっと前、教師による暴力が話題になった。今、理不尽な保護者が話題になっているらしい。昨日も書いたけど、実にヒステリックだ。過ぎたるは及ばざるが如し。何かをし過ぎることは害悪でしかないことをなぜ忘れてしまったのだろう。実にヒステリックだ。教師が生徒を平手で打ち、教師はそれを生徒に謝り、生徒もそれで謝る牧歌的な学園風景は、今ではどこにいってしまったのだろう。や、多分まだまだそんな学校もあるとは思うけど。多分。全部が全部ニュースで取り上げられるような現状だったとしたら、それはあまりにも陰鬱に過ぎる。

最近、日記の段落が非人道的に長くなっているのは、そこが人に読ませるための段落じゃないという自分へのサインです。姉と昼食。非常に残念ながら、甥には会えなかった。


No Unix, No Life.
©2009 H.Miyamoto

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